Et Tu, BRUTE?      久世光彦TVシアター/悦楽的女優論3

愛する男を乗せた汽車が出ようとしています。もちろん発車のベルが鳴り響いてドラマはクライマックスです。女がホームを走ります。思いつめた女の顔に、すれ違う人たちがふり返ります。こういうお芝居、ほとんどの若い女優さんはとても上手になさいます。

青春とやらいうものはいつもややこしくて、二人はいつも何かに耐え、迷い、重い吐息を小さく吐きます。何とも言えず淀んだような長い時間の中で、女がだまってガムを噛んでいる。もう何時間も味のなくなったガムを噛んでいる。こういうお芝居、今の女優さんは実にたくみに表現してくれます。

でも彼女たちに、たった一つ泣きどころがあります。いくら練習をかさねても、誰かに相談しても、どうしてもそれに見えないお芝居があります。それは本を読むお芝居です。きれいでみんな賢いこのごろの若い女優さん、本を読むお芝居だけができないのです。私見を言えば、日本の女優さんの中でいちばん素敵に本を読めるのは、岸田今日子さんです。お芝居の中でこの人ほど本当に本を読める人を知りません。リルケも読めます。鴎外も読めます。夜更けに女がひとり、リラダンだってこの人は読んでみせます。どうしてなのでしょう。お芝居歴が長いからなのでしょうか。

本を読める少女をひとり知っています。心が乾いていて何かで満たされたい想いでいっぱいの時は眼を輝かせて素早く、グルーミーな夏の午後にはけだるくレントよりも遅く、生理に忠実に、素直に本の読める少女です。きっと好みの激しい子なのでしょう。嫌いなものには見向きもしません。石川達三なんか一字も読んだことがないにきまっています。その代わりクローニンは隅から隅まで読んでいるかもしれません。女優さんが本を読むからといって上等というわけではありませんが、この子の場合、何か信用できるのです。それはつつましく淡い色でまとめられた書物の装幀みたいなものです。きっと何かを満たしてくれそうな、信頼と小さな愛のようなものを、手にとる者に感じさせるのでしょう。

偶然ではありますが、この少女が『サロメ』でデビューしたということも、本の神様かなんかの意志が働いていて、とてもこの少女に似つかわしいことのように思えてなりません。

※雑誌「ブルータス」1978年頃に久世光彦さんが蜷川有紀について書いてくださった文章です。

 


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