つかこうへい構成/演出ロックオペラ

『サロメ』

1978年6月公演

於:PARCO 西武劇場


原作:オスカア・ワイルド

構成/演出:つかこうへい

脚本:阿木燿子
美術監督:石岡瑛子
音楽監督:酒井正利 音楽:三枝成章
挿入曲:井上陽水・宇崎竜童 作詩:橋本 淳/阿木燿子
衣装:毛利臣男 ヘアーメイク:川邊サチコ
照明:服部基 音響:吉田宣:山本能久
振付:芙二三枝子/一の宮はじめ 舞台監督:赤坂 久

企画制作:パルコ
後援:CBSソニー・ニッポン放送

 

◆キャスト◆

水野さつ子(蜷川有紀)
加藤かずこ/菅野園子/井上加奈子/田辺さつき/西岡徳美/平田満
松田利也子/熊谷真実/市ノ瀬妙子/加藤健一/重松収/長谷川康夫/ 佐藤政洋/石丸謙二郎
酒井元礼/赤丸正幸/知念正文/河井雅代/町田義人/他

 

★ 高校在学中三千人の応募者の中から選ばれタイトルロール‘サロメ’を演じる。
半年間の過酷な稽古はその後の蜷川有紀に大きな影響を与える。
(この作品は、当時の本名/水野さつ子の名前で出演。)

 

 
 
★デビュー秘話

1977年。
あの頃、女の子達の制服のスカート丈は、とても長かった。長いのが流行っていた。でもなぜか私のスカート丈は、短かった。短いのが好きだったから。別にヒトと違うことをするのが好きだったわけでもなく、だからといって孤立してイジメられたわけでもない。単に自分の好みに素直にしたがっていた。

そんな高校2年生の冬、3000人の応募者の中から選ばれて、つかこうへい版ロックオペラ「サロメ」という作品のヒロインに抜擢された。「熱海殺人事件」で圧倒的な人気をはくしていたつか氏の当時の西武劇場(現・PARCO劇場)における初メジャー作品だった。石岡瑛子さん、毛利臣男さん、酒井正利さん、三枝成章さん、井上陽水さん、宇崎竜童さん、阿木耀子さんほか当時最高のスッタフが勢揃いした。昨日まで普通の高校生(スカート丈は短かったが)だった私は、その日から、いきなりめまぐるしい世界の住人になった。

まず、製作発表というものに出席しなければならない。演出家の叔父(蜷川幸雄)に「なんていえばいいの?」と訊ねたところ、「たかが芝居だから軽い気持ちでやります。」と言えと教えてくれた。私は、その頃まだ子供で、ある意味でとても素直だったので、叔父に言われたとおり記者会見で言ってしまった。
「たかが芝居だから軽い気持ちでやります。」と!

マスコミは大騒ぎ、つかこうへい氏は大怒り。翌日から大変なことになってしまった。もともと、オーディションには当時の本名・水野さつ子という名で応募していたので、審査員の方たちはどなたも私が蜷川幸雄の姪だとは知らなかった。ずっと黙っているのもなんだからと、オーディションに受かってから数日後にそっとプロデューサーの山田潤一氏にお話した。つかこうへいさんからは、絶対に蜷川の姪だとはマスコミに言わないように口止めされた。しかし、わたしがヒロインに抜擢されたのをとても喜んでいた演出家の叔父は、どうしても我慢できなくて月刊プレイボーイの記者の方に「実はあれは僕の姪なんだぁ」と、自慢してしまった。当然のごとく記事になってしまった。もう最悪。ムチャクチャだ。

つかこうへいさんの舞台の稽古はとても厳しく、過酷だった。「ここは田んぼで、君はむこうからあぜ道をサロメのセリフを言いながらやってくる。そして、ココで肥溜めに落っこちて、それから農夫に犯される。ハイやってみろ。」という具合。私はまだ、たった十七歳でお芝居もやったことがなかった。セブンティーンという雑誌でロックオペラ「サロメ」の主役募集記事をみて、「サロメ」ってどんなお話なのだろうと思い、オスカー・ワイルドの「サロメ」を読んでみた。あまりに素晴らしいお話に魅了され、オーディションを受けたのだ。それなのに・・・。
田んぼ・あぜ道・農夫・犯される???
あまりのショックに稽古場の片隅で泣きながらつかこうへい氏を睨みつけた。「たかが芝居なんだから軽い気持ちでやってみろ!」と、つかさんは怒鳴った。私がいったあの一言に、本当に腹をたてていたのだ。いまさら、叔父がそういえといったなんて告白するわけにもいかず、ただただ涙がでるばかり。私を犯す農夫の役は、加藤健一さんだった。加藤健一さんにはなんの罪もない。私は、稽古場の片隅から、つかさんをただただ睨みつけた。マスコミは大喜びで、「つかこうへいと新人女優との過酷な稽古」「反抗する新人女優」などと書き立てた。当時は、マネージャーもいず、母親も演出家の叔父からステージママにならないよういわれていたので、私はほとんど野放し状態だった。インタビューには思ったままを素直に答えた。「つかこうへいさんは酷いヒト、何を考えてるのかわからない」等々。言ってしまってからこれはまずいと思い、「このことは書かないでください。」と記者の方にお願いしたが、言ったことはすべてそのまま書かれていた。ますます最悪だ。

当時は、公演通りにはまだパルコ・PART1しかなく今のPART3のところが空き地で小さな古ぼけた2階建てのビルが建っていた。その場所が稽古場にあてられていた。出演者の風間杜夫さん、平田満さん、加藤健一さんそれからおなじオーディションで合格したかとうかずこちゃん、熊谷真美ちゃんと一緒によく公園通りをジョギングした。今の公園通りでは考えられないかもしれないが、オシャレなあの通りはまだ少し今よりものんびりしていた。
通常舞台の稽古というのは、長くても一ヶ月間ぐらいなのだが、「サロメ」の稽古は半年ぐらい続いたような気がする。私は、高校三年生の一学期を全部休学した。稽古が終わると、かとうかずこちゃんと紀伊国屋劇場に毎日「熱海殺人事件」の公演を見に行かなければならなった。つかこうへいさんにそう言われていたから。なんで毎日見に行かなければいけないのかよくわからなかったので、ある日サボってかずこちゃんと一緒に名古屋までドライブに行ってしまった。私たちが何処へ行っちゃったのだろうとつかさんはとても心配していたようだ。
それからも過酷な稽古は毎日続いた。いちおうロックオペラということだったので、芝居の他に歌や踊りの稽古にも毎日通った。芝居の方は、台本が無く口立ての稽古だったので本番前日になってもいったいどのシーンがどのように次のシーンにつながっているのかもさっぱりわからない状態だった。率直にそのことを風間杜夫さんにお訊ねすると「いつもこうだよ」と優しく笑っていた。ますます訳が分からなくなった。

初日があけると連日大入り満杯だった。あまりに稽古が大変だったので初舞台でもまったく緊張しなかった。初日があけても芝居の内容は毎日変わった。特にラストシーンは、変更変更の連続だった気がする。ある夜の部のラストシーンでは、私が雪の中を紅いドレスの上に軍服みたいなコートを着てヨカナーンのことを思う唄をうたって登場し、最後に銃殺されるという設定になった。言われたとおりコートの陰に隠されたスイッチを押すとバンバンバンと音をたてて弾着が破裂し、私はその場に倒れた。幕がおり、袖に引っ込むとつかさんが「よくやった!!」と私を抱きしめてくれた。わたしは、なんで抱きしめられてるのかさっぱりわからずキョトンとしていた。今思えば、弾着はコートに微量の火薬が仕掛けられていて危険を伴うことだったのだ。しかし、とにかく子供だったので危険もヘチマもない。つかさんは、心配して見守ってくださっていたのに、私の方は、ヘノカッパだったわけである。

いまこうして、思い出してみるととにかく私は若くてバカだった。決定的な間違いは、あれはオスカー・ワイルドの「サロメ」ではなく、つかこうへい版「サロメ」だったのだ。私は子供だったのでどうしてもそのことが理解できなかった。一生懸命、新人女優の私を愛してくれたのに申し訳なかったなあとつくづく思う。結局つかさんには、あれから一度もお会いすることなく26年の日々が過ぎてしまいました。
女優業とは、美しいドレスを着て素敵な人生を演じることなのだとぼんやり憧れていた十七歳の少女は、半年間で本当にビックリするような数々の体験をしました。
あの日、冬枯れの公園通りをはさんだ喫茶店の2階から、オーディションを受けに続々と劇場のあるパルコ・PART1に入っていく素敵な女性達を一人で見おろしていました。早く受付を済ませてしまったので、審査の開始まで時間が空いてしまったのです。みんな流行のお洋服を着て、格好良く、まさか私が受かるなんて思ってもみませんでした。記憶力のよくない私ですが、あの日のあの喫茶店の2階からみた渋谷パルコ・PART1の光景だけは、いつまでも忘れることがありません。なぜなら、あれが私にとって人が青春と呼ぶ日々がはじまった、まさにその時だったからなのでしょう。  

2003年12月吉日 by Yuki Ninagawa     ※デビュー秘話

 

 

 


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