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新宿フィールドミュージアム主催「新宿アートトーク」

日時/2015年11月15日 
会場/東京オペラシティ
出演/蜷川有紀・榎本了壱・立島惠
ビデオ出演/河口洋一郎

立島:佐藤美術館の立島と申します。佐藤美術館は、ちょっと特殊な美術館で、25 年前から奨学金を出して若いアーティストを支援している美術館です。

蜷川:蜷川有紀です。1978 年に女優としてデビューし30 年以上女優業を続けてきましたが、2005 年に女優業をお休みし、現在は画家としての活動に専念しています。和紙に日本古来の岩絵具という素材を使って描いており、本日展示している作品も全て岩絵具で描いております。絵を描いていると天国にいるような幸せな気持ちになって、アートというのはいつも私を救ってくれるなあと思っています。

榎本:僕は大学を出るまで吉祥寺で生まれ育ち、ちょっと街に出るなら吉祥寺、もう少し行くなら渋谷か新宿という時代でした。1950 年代、1960 年圧倒的に新宿が面白く、渋谷に行くか新宿に行くかといったら、圧倒的に新宿でしたが、1970 年代になると渋谷が面白くなり始めた。僕は1974 年から「ビックリハウス」という雑誌をパルコ出版でつくり始めましたので、な
んとなく自分の仕事の本拠地が渋谷になっていった。同時に1970 年代前後から新宿に集まっていた若者たちを1970 年安保の前後で規制してしまうようなことが起こり、少し新宿が若者離れしたという状況があったと思います。そして僕は1969 年頃から天井桟敷の事を手伝ったりし、だんだん渋谷の人間になっていったという経緯があります。今日はもう一度新宿について、少し考えてみたいと思います。

立島:ここで、当初ご出演いただく予定でした、河口洋一郎さんのビデオレターをご覧いただきます。

河口:東京大学の河口洋一郎と申します。新宿に今後面白いものをつくるためにどうしたら良いか、新宿を魅力的にするにはどうしたら良いか、アートの立場からを考えてみたいと思います。夜は繁華街でありネオンがいっぱい点いて、最も宇宙に近い都市新宿ですが、2020 年オリンピックまでに、本当に質の高いミュージアムやアートはあるのだろうか。アートを求める人たちを、新宿にどうやって呼び込んだら良いのだろうか。国際的なオリンピックに向かって、新宿がアートに関しておもてなしできないものかということで、最先端技術を隠し持った伝統芸術を未来化してみる、ということも考えられます。新宿という街の中に、何百年も昔からある伝統的なものが何かあるはずで、そういうものを探して何か未来的なものへと持って行くというのもあります。同じように高齢社会の中で、アートがどのように都市の中でうまく魅力的に発展するかと考えた時に、都市というのは自己組織化する、自分で自分の未来を自らつくっていく、成長する都市のルールというのがいっぱいあり、その中の新宿が非常に多様性に富んだ都市をつくっていくと思うのですけれども、アートがどのように自己組織する都市の中で街づくりをやっていけるかを考えた時に、2020 年までに都市のメディアと自然が混合するジャングル都市みたいな、花や鳥、鳥がさえずるような都市のジャングルのようなエコ的な環境を考えたりしているのですけれども、新宿はこれからのオリンピックまで、あるいはオリンピックの後の2030 年、2040 年、2050年に向けて、アートやデザインによる未来の街づくりの中でもっとも魅力的な感じがしています。その中で8K 超高精細CG 映像が映し出されてロボティックなものがどんどん入ってきて、そこにこれからの新しいネット社会における全く新しい形のアートが生まれる感じがしています。そのために非常にナチュラルな自然や伝統を未来化するような、日本古来の花,鳥,月や風とか、そういうのを感じるような、エコ的なものを含めた複合的な多様性に富んだ新宿、そういうものを夢想しています。そういうところでアートの立場から実現に向けて関与できれば幸いです。頑張りたいと思います。

立島:河口さんから、伝統芸術と先端芸術の融合、質の高いミュージアム、アートを通じた街づくり、新しい形のアート、ジャングルといったいくつかのキーワードが出ていました。新宿フィールドミュージアムは5 年目にり、いろいろな形に発展していっているのではないかと思います。佐藤美術館はスタート当初から関わっていますが、非常に広がりができてきて、ひとつひとつのイベントや団体の結びつき・連携がキーワードというふうに思っています。今後新宿がアートや文化を通してどのように発展していったらいいのかということをお伺いしていきたいと思います。

榎本:新宿フィールドミュージアムのガイドブックを見ますと、新宿というのは大きな地区だということがわかりますし、個性のあるいくつかのエリアによって新宿が構成されているというのがわかります。しかも、文化的な施設はとても多く、みなさんが行ったことのないような施設がいっぱいあると思います。フィールドミュージアムという構想は、どこの街でも地域振興の大きなプログラムになっていて、ひとつひとつのミュージアムや劇場や文化施設をまとめて、大きくそれを回遊しながら、地域全体がひとつのミュージアム的なその発信性あるいは興味の対象、研究の対象にしていこうということで、地域全体を見つめていく、魅力を探していく大きな構想としてあるわけでしょう。けれどもある意味で新宿って大きすぎるのではないかな。それから、このたくさんのプログラムがあり、ネットワーク時代で新宿が発信しているものを、つぶさに実感できなくなり始めている。新宿は、日本における象徴的な、もっとも大きな都市・地域のひとつだと思います。ですから、何をやってもあまり目立たないという、ひとつのデメリットを持ってしまっているという気はします。

立島:いろいろありすぎるものを、どういうふうにしてみなさんに伝え、的確に結びつけるとかということが、ひとつのポイントではないかというように思います。

蜷川:私は2012 年に「薔薇都市」という展覧会を開催しました。これはイタロ・カルヴィーノの「見えない都市」という51 個の架空の都市の物語を描きました。イタロ・カルヴィーノは、都市は“欲望”と“恐怖”でできていると書いていました。まさに新宿は、欲望と恐怖でできているきらめく坩堝のような街。ロボットレストランや歌舞伎町、楽園のような新宿御苑、そして映画「ロスト・イン・トランスレーション」で世界中の人たちが憧れたパークハイアットという素敵なホテルが摩天楼のようにきらめき、賛否両論あるかもしれないけれども丹下健三設計のあれほど格好いい都庁がそびえている。こんな面白い都市ってあるのだろうか。叔父の演出家・蜷川幸雄は1960 年代後半に新宿のアートシアターという映画館で、映画が終わった後に芝居をしていました。私は小学校2 年生でしたが、夜中の9 時にそこに連れて行ってもらって、「次の公演はこれです」と、ビラを配ったりしていました。ワクワクするような文化をたくさん産んでいった新宿は、まだまだ不滅だと私は思っています。

立島:いろいろな可能性を秘めている。混沌としていながらも、いろいろな発信ができそうな新宿を、どういうふうにして取りまとめていくのかということがひとつ問題なのかなと思っています。学生時代は新宿経由で通学し、仕事場も新宿であり、非常に長く新宿に触れていますが、まだまだわからないことがたくさんあり知らないことがたくさんある。それを知ってもらったり、発信したりするということでいろいろな人たちに楽しんでもらえるようにするにはどうしたらいいか提案ができないかと思うのですが。

榎本:1960 年代までは間違いなくアジアの中で最も発信力のあった文化都市、カルチャーシティというのは新宿だったと思います。蜷川幸雄さん、寺山修司さん、土方巽さんもアートシアター。唐十郎さんは花園神社でやっていたし、演劇のメッカであった。映画もそう。そういう意味では文化的な、しかも前衛性の非常にある先端的なクリエイティブが、まさに新宿から発信していたという時代があったと思います。ところが、1970 年安保のときに、西口に若者たちがあまりに集まりすぎたので排除し始めると、これは保安のためには大切なことだったかもしれないけれども、1960 年代で若者が新宿に集結できなくなったという一つの大きな事件があったと思います。そこから西武セゾングループが渋谷に進出し、商業施設ではあるけれども東急と西武というふたつの大きな企業がぶつかり合うことにより、渋谷で文化的な競争を始めていった。西武劇場(元・PARCO 劇場)、LOFT、109、東急文化村ができ、そこでは単なる消費ではなく文化を核にした地域づくりを競争の中で目指していたと思います。ところが新宿は既にコマ劇場があり他にもなんでもあり、文化施設的にも満腹感があり、更にアジールとしてはゴールデン街のようなものまであるという非常に奥深い幅広い文化的なフィールドがあったわけです。ですから、それに胡坐をかいたというのか安心しているうちに、あの小さな渋谷のエリアに文化的なトピックが集中し始めて、あるいは見やすい文化的なイベントに触れるチャンスができてきて、大きすぎた新宿がマンモス象のように1970 年代から、ぐずっと膝をついてしまったという印象はあります。

立島:巨大化しすぎて、とりとめがなくなってしまった感じでしょうか。

蜷川:先だってINNOVATIVE TECHNOLOGIES FORUM へ行きました。これからの時代は、バイオがキーワードになり、微生物の研究がものすごく進むそうです。よい微生物をどうやって自然の風とともにビルの中に取り込むかということが研究され、それが都市全体のありかたまで変えていくようです。また、AI、人工知能も見えない形で入ってきており、私たちの生活は知らない間にどんどん変化していく。私たちが都市をどうやってデザインしようかと考えている間に、細胞分裂するように進化はおのずと進んでいる。そのときに何をつくるかというよりも、何を残すべきかを考えることが必要なのではないかと思います。たとえば上野の公園。先日、大好きな上野の公園に行きましたら、日本でおそらく最大級の、素晴らしいフランス様式の噴水が半分に削られていた。なんでこんなことをするのか。その半分はイベントスペースとして使うそうです。何が美しいのか、何が素晴らしいのか。私たちが生きていくためには、実際に役に立たないかもしれないが本当はものすごく役に立っている、そういうものを見極めて残していくということを考なければいけないのではないかというふうに考えています。

立島:発信することももちろんそうですけれども、芸術文化や他のことも含めて、いろいろなものを整理するということでしょうか。榎本さんがおっしゃっていた巨大化した新宿の整理、それから括り方というものも必要なんじゃないかということかと思います。新宿区には区立の美術館がないというお話がありまして、それについてちょっとお聞きしてみたいと思います。いろいろなところに区立の美術館がありますが、新宿区は区立の美術館がない区
で、そのときそのときに美術館構想も浮上したりしていたようですが、僕は区立の美術館はなくても何か違う方法で新しくアートを発信できるようなツールやスタイルがあるのではないかと思いますが、どうでしょうか。

蜷川:私はこの会場、東京オペラシティーにあるICC が好きです。メディアアートを展示している美術館ですが、とてもワクワクします。ですが、なかなかメディアアートと伝統芸術とか、近代のシュールレアリズムとか、あの辺のものが一緒に見られるということが少ないので、新宿区にはそういうものがあったらいいのかなって思います。そういう最先端のものと古いもの両方を同時に鑑賞できる美術館を新宿区につくったらどうでしょうか?

榎本:僕はそんなに無理やり美術館をつくらなくてもいいと思います。東京は美術館だらけですし、ある程度住み分けができているかなって思います。東博にしても森美術館にしても国立新美術館にしても、様々な形での美術館の展開というのは、うまくできているかなと。美術館経営はすごくお金がかかりますから、これ以上そういうことをやるよりも、美術や文化に対する、インキュベーション。作家ももちろん育てるけれども、美術や文化に興味のある人間を育てるっていうのかな。ミュージアムというよりは、僕は「エコール」と言っています。人間ひとりひとりが豊かになるような設備、環境を優先したほうがいいのじゃないかなという気がします。

立島:佐藤美術館が取り組んでいることも、インキュベーション、エコールに重なる部分もあります。アーティストの支援もしていますし、無名のアーティストも取り上げて、見る側とつくる側をつなげるという場所でもある。それは美術館でなくてもできるので、そういうところを多面的に皆さんに見ていただけるような場所をつくっていくということ、それを試みているわけですけれども。さきほど蜷川さんと楽屋で話していましたが、教育や、若い作家にたいしての教育、子どもたちに対しての鑑賞教育。つくる側だけでは駄目なので、見る側、それを享受して楽しむ側もちゃんと教育するということが必要じゃないかと思います。

蜷川:日本には国立の演劇大学がない。芸大には映画学科をつくったのに、演劇学科がない。韓国や中国にはものすごいものがあります。「SAYURI」というハリウッド映画では、日本人のヒロイン“さゆり“を中国の女優チャン・ツィイーが演じています。日本が優れた俳優を育て、よい演劇教育をしていたら、きちんと日本人の女優が“さゆり”を演じられたはず。それは政府
の文化に対する考え方の甘さだと思っています。演劇大学をつくりたいと思っているのに、なぜか文学部は減っていくという話です。なぜこんなに芸術というものを軽視するのか。子どもたちの図画工作や美術の時間も瀕死の状態です。こんなことをしていたら、本当に日本は滅びると思います。先ほどもお話ししましたINNOVATIVE TECHNOLOGIES FORUM へ行ったときに、これからの日本を支えるのに技術力と文化力どちらが大切ですかと技術者へ聞いたアンケートがありました。彼らは大多数の人が「文化力です」と、答えました。技術者ほどそう思っている。多くの政治家や官僚そして技術者を支えるのが、芸術なのです。本当の心の豊かさ美しさ優しさというのはどういうものなのか、そういう心を育てなかったならば、一個一個の決定を下す時に、大切なものを切り捨てるような政策をつくっていってしまう。芸術という一見役に立たない美しい素晴らしいものをもう一度考え直して、美術・図工の時間、鑑賞教育、文学、演劇、音楽、そういうものをもう一度きちっと私たち日本人が古今東西問わず勉強して、文化力として発信していかなければ、本当に日本は滅びると思っています。

榎本:演劇大学がないから日本が滅びるっていうのは大げさすぎると思いますけれど、ミュージアムとかユニバーシティとかいろいろな概念がもう出来上がりすぎているので、これからの文化の方向性、新しいコンテンツを考える必要があると思います。ミュージアムはできあがった作品を見せる、劇場はできあがったお芝居・オペラ・ダンスを見せる。でもそのできあがったものを鑑賞しているだけだと、クリエイションがどうやって進行していくのかというのが見えにくい。ミュージアムや劇場をつくるのなら、ぜひアーティストズー、芸術家動物園をつくってもらいたい。芸術家が全部檻の中に入っていてお芝居の稽古をやっていたり、ダンスの稽古をやっていたり、絵を描いていたり彫刻をやっていたり。そういう人たちが大きな空間の中に自分がやらなくてはいけないクリエイションをやっている。実は芸術大学に行っていれば、それは日常茶飯事で、みんな絵を描いたりデザインしたりしています。それを見ると、実に淡々としているけれども、アートがどのようにつくられていくかというのをつぶさに目撃できます。料理もそうですが、テーブルの上に置かれた料理を食べるだけでなく、厨房に入ってつくっている人たちの作業を見れば、料理が一段と面白くなると思います。今アートや文化に必要なのは、そのプロセスをわかってもらう、結果主義ではなく、どのようにアーティストたちが物をつくっているのかを見せるような、そんなチャンスはあってもいいのかなという気はします。

立島:佐藤美術館でもよくやっていますが、ワークショップをすることによって、日本画・油絵・彫刻を体験することによって、そのプロセスをイメージできる体験ができます。実際にアーティストがつくっている現場を見ることのリアリティは非常に大事だと思います。ただ壁にかかっている作品を見るのと、プロセスを見る、あるいはそのアーティストの言葉を聞くということでは、ずいぶんと作品に関する接近の仕方が変わってくる。そういう体験をしてもらうということが、僕たち学芸員の仕事でもあり、アーティストの仕事でもあり、クリエイターの仕事でもある。そういう部分で榎本さんのお話にあったコンテンツのひとつになりうるし、そういう可能性は秘めている。

榎本:ミュージアムの中でワークショップをやるというのは当たり前のことになってきて良いことだとは思いますが、ミュージアムのワークショップはレベルが低すぎます。子どもを相手に、こういうことをやって楽しいねっていうレベルではないことをやらなくては。それを芸術大学でしかやらないのではなく、都市の中で文化芸術の好きな人が本当にレベルの高いものに接していくということをしないと。入門編ばかりやっていてこういうこと楽しいよねとか、おうちに帰ってもやってね、みたいな、そういう情報はもういいのでは。もっと本当にレベルの高い、その瞬間から自分はアーティストを目指そうと思うくらいの刺激のある、そういうことを本気でやらないと。なんとなく体験しましたみたいなことでは、文化は育っていかないと思いますね。

蜷川:プロが創作している現場を見るということは、それは格闘でもあるし戦いでもあるし、至上の喜びでもある瞬間に立ち会うことです。そういう本物の魂の格闘技を見るということが大事なのではないでしょうか。

榎本:新宿の不幸は、放っておいても人がたくさん来てしまうということ。何かしないと人が集まらないところは、一生懸命に文化行政だ、なんだかんだってやりますけれども、うんざりするほどお客様が来てしまう地域というのは怠慢になるというか、やらなくてもいいのではないかという気持ちになってしまうのかな。南口に大きなビルが建ちましたよね。あの建物の中に文化的な施設ってどんなものがあるのだろう。情報として全然私たちのところに来ていないですよね。渋谷の良いところは、限られたエリアの中で、今度ヒカリエの中に何ができます、ブロードウェイのミュージカルばかり集めるオーブという劇場をつくります、オーチャードはバレエとオーケストラの劇場にします、といような情報を一生懸命メッセージするわけです。新宿は何も言わなくても人が来るので、大きな建物を立てても文化施設はいらないし、十分儲かる、というところが問題。西口は高層ビルがあるけれども、あの下を歩いていても一向に楽しくない。丸の内の仕事を15 年くらいしましたが、あそこは銀行・証券会社・貿易会社みたいなものしかなくて、仕事をする人以外はほとんど立ち入らなかったんです。丸ビルを建て替える前後から、丸の内で働いている人たちが仕事が終わったら銀座に行くか有楽町に行くのではなく、丸の内にいてもらうためにはどうしたらいいかを本気で考えました。大手町と丸の内と有楽町で「大丸有」と言いますが、この3 つのエリアが連携して、路面全部が銀行で3 時半になったらシャットアウトしていたところを、レストランやらブティックやらをどんどんはめ込んでいくんです。その一つが丸の内カフェで、それを僕がやりましたけれども、つまり自分たちのカフェをいかに面白くしていくかという努力をものすごくしたんです。だから丸の内は三菱を中心に街づくりを頑張った。そして今は日本橋・室町で三井が地域づくりを頑張っている。つまりそういう対抗、都市間のエリアの中で自分たちのエリアをどれだけ面白くするかという、そういう競争の時代になっている。新宿はそういう努力を感じない。コマ劇場がなくなり、東宝シネマは先端ですごいシネマコンプレックスになったと思いますけれど、北島三郎や島倉千代子が消えて行ってしまったというような、私たちの心の大衆性というのが、いつの間にか割と簡単に利潤が上げられる、あるいは大きな損失をしない映画興行に代わってしまうみたいな、そういう新宿のふんばりが見えないというのが悔しいですね。

立島:新しいものはそれはそれで確かにいいのでしょうけれども、整理をして残すものは残す、大事なものは大事なんだということを、みんなで認識するというようなことを、ある種の市民活動みたいなことも含めて、企業と一体化するなり、行政も一体化するなりして、やっていくということも必要なんじゃないかということでしょうか。最後に新宿フィールドミュージアムについて、今後期待することや、どういうことをしていくのが良いのかというのをお伺いしたいと思います。

蜷川:新宿フィールドミュージアムは、存じ上げなかったのですが素敵な試みだなと思っています。点をつないでいくことがすごく大事なのではないか。ビルを建てて、そこに文化施設を作ればいいというのではなくて、そのビルからこちらの公園、こちらのビルにつなぐ道がどんなに素敵か、ロマンチックか、あるいはクリエイティブか、そういうことを行政も一緒になって、考えていったらいいのではないかなと思ったりしました。

立島:僕は、たとえば展覧会をただ単に見るだけじゃなく、そこまでのプロセスも楽しむようにしているんです。旅をするような感じとでも言いましょうか。電車を乗り継いでいろいろな人に会って、ギャラリーで作品を見て、アーティストや画商さんと話をして。そういうことを一つの旅みたいに感じること。或いは旅に見立てたり。フィールドミュージアムも何か旅のようにプロセスも含めて楽しめるようにできるとといいんじゃないかなと思っています。

榎本:新宿フィールドミュージアムのガイドブックの広域マップはエリアが6 つに分けられていますけれども、このエリアごとにちゃんとチームをつくり、カルチャーチームが6 個あり、それが地域ごとに競争していく、あるいはそのアイデンティティを高めていくといいと思います。高田馬場・大久保・落合エリアはマージナルなインターナショナルみたいなテーマとか、牛込・神楽坂エリアは東京下町カルチャーとか、ひとつの大きなメッセージを集約できるようなコンテンツをつくり、それで地域ごとの特性をどうやって際立たせていくかという、そういう競争をすべきだと思います。新宿はひとつではなくて、少なくとも6 つ以上の特徴のある地域の集合体ですから、それこそが新宿の強みでしょうし、可能性じゃないかという気がします。できたら僕は牛込・神楽坂エリアを応援したい。

立島:新宿という街は非常に広いですよね。その地域ごとに非常に特徴があるにも関わらず、それが外からはなかなか見いだせない部分はあるのかなと思います。


BY Yuki NINAGAWA


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