INTER-DESIGN TOKYO FORUM 2017

『-Carpe Deim- 今を摘め』で講演をしました。

 

『ダンテと薔薇』

 

 700年の時空を超えて意識の古層で描く薔薇。
それは、花というよりも肉体の一部であり渦巻く原初的な何かである。

 『カルペディエム-いまを摘め-』ということで、今日は「私の〈現在〉は〈古代〉につながっている」というお話をしたいと思います。 先日、ラスコーの洞窟画展が上野の国立科学博物館であったのですが、皆さまはご覧になりましたか?フランスの西南部ドルドーニュ川の左岸にモンテニャック村があり、その丘の上の標高185メート ルぐらいのところに洞窟の入り口がありまして、1940年にモンティニャック村の少年が穴に落ちた犬 を友達三人で救出したときに偶然、発見したそうです。全長が200メートルぐらいの洞窟で、内部が3つの空間に分かれていて、その壁面に牛や馬、鳥などの絵が描かれていました。描かれていた場所 は、洞窟の奥のほうなので真っ暗です。そんな真っ暗なところに2万年前のクロマニョン人は、どうやって絵を描いたのでしょう? 絵を描くために梯子やランプまでつくって描いたそうです。それも一人や二人ではなくて集団で描いたらしい。

 

 どうしてそんなたいへんなことをしたのだろう?

 なぜ洞窟の奥に描いたのだろう?何のために?

 疑問は尽きません。

 すごく神秘的ですが、何となく私にはわかる気がします。

 

 人間には、描きたいという原初的な欲求みたいなものがある。ラスコーのクロマニョン人は、野生の美しい動物を見たときに、そこに神が宿っているような気がしたはずです。「私はこんなすごいものを見た!」ということを描き、 神様に捧げたいという深い衝動があったはずです。

 

 私は、さいきん汐留にあるパークホテル東京の客室の壁に絵を描きました。この絵を描いていたとき、楽しくて本当に幸せだったのですが、はっと気がついたら洞窟画に似ていると思いびっくりしました。

 

まるでラスコーの洞窟画みたいではありませんか?

 

 私は、ときどき「30年間一所懸命に演じる仕事をしてきたのに、なぜいまは絵を描いているのだろう?」ということを考えます。考えながら自分の心の奥のほうに深く降りていってみたとき、こんなことを思いました。遠い昔、私がまだ生まれるずっと前に、洞窟で赤い絵の具を使って絵を描いていたような気がするんです。それは、ささやかな洞窟だったような気がするのですが。赤い色で馬の絵を描いていたような記憶がある。不思議ですね。このホテルの客室にはアクリル絵具をつかって描いたのですが、いつもは岩絵具絵をつかって薔薇をモチーフにした絵を描いています。ご覧のように、私が描く薔薇は「花」というよりも「肉体の一部」のようです。渦巻くような「肉感的な薔薇」を描きたいわけです。

 

 なぜ薔薇なのか?

 

 この薔薇が象徴 しているものは、「愛」「恋」そして「この世のよろこび」などだと思うのですが、三島由紀夫は、「傷口」 だと言うんですね。これは、ショックでした。でももしかしたらそうかもしれない。このようにどんどん傷口のような薔薇の絵を描いているうちに、その薔薇が気がつくと「螺旋」になってしまった。ぐるぐると、渦巻く原初的な何かになっていった。私は薔薇を描きたいというよりも、もしかしたら螺旋を描きたいのかもしれない。私のなかには、「迷宮のような花びらのなかに呑み込まれてみたい」というような欲求があるということに気がつきました。それは、大昔からある深い欲求に似ている。螺旋というものは、あらゆるところに存在する「銀河」「アンモナイト」あるいは「胃」「腸」 もこんな感じで渦巻いているわけです。渦巻きというもの自体に呪術的な、原初的な魔力のようなものがあるのでしょう。ちなみに螺旋は、象徴するものが「永遠「」迷宮「」生植」を意味するそうです。

 

 私は、大小あわせると年間60枚ぐらい絵を描くのですが、このところものすごく大きな絵を描きたくなってきました。それで、いま描いているのがこの絵です。薔薇ではなく完全に螺旋になってしまいました。この体験を踏まえ、次に描くものは何がいいかと考えた時に、頭に浮かんだのがダンテの『神曲』でした。

 

「なぜダンテなのか?」と考えますと、それは「一神教同士の戦いが甚だしいなか、私たち多神教の人間にできることはないのか?」と考えつづけた末、このテキストの中に答えがあるかもしれないと思ったからです。

 

 地獄という概念は、東洋と西洋の文化がまざってできあがったそうですので、私が岩絵具という日本古来の画材をつかってダンテの『神曲』地獄編を描くというのは、意味深いと考えました。こうしてダンテと私は700年の時空を超えて手をつなぎました。

 

 ダンテは、700年前フィレンツェでものすごく傷ついて、絶体絶命になっていた。私もこの1年半ぐらい前、絶体絶命になっていて、「どうやってこのあと私は生きていったらいいんだろうか?」と思ったときに、このダンテが頭 に浮かんだわけです。 ダンテは、こんなことを言う。「以前にもまして才気を慎もうと思う。幸運の星の下に生まれ、そのうえ、ありがたくも天賦の才に恵まれた身を、よもやそれを後悔の種にはすまい」。つまり、自分はすごく才気があるんだと。神様にこれほどまでの才気を与えてもらったのにもかかわらず、それを不幸の種にすることはしないように自分の才気を慎もうと、自分自身に誓うわけです。自分は才気があるということを全面的に認めている。

 

 実は、私も自分の才能に根拠のない自信があって、それで女優だったのにもかかわらず無謀にも画家として活動しています。私の絵画作品は、すべて岩絵具という日本古来の絵の具で描いています。この赤い色は、紅辰砂 (べ にしんしゃ)です。この絵を歴史学者の磯田道史さんにご覧いただいたのですが、磯田氏は「おおっ、 蜷川さん。これはストレートに潜在意識に直行してしまうような絵ですね。九州にある装飾古墳のようだ」とおっしゃるんです。それでみせてくださったのが、この写真です。

 

 福岡にある日ノ岡古墳の洞窟画です。私の描いたダンテの『神曲』をテーマにした絵と酷似していませんか? 不思議です。装飾古墳のことなどなにも知らなかったのに、なぜここまでそっくりなものを描いてしまったのでしょう か?私の〈現在〉が、〈古代〉とつながってしまった。私は描くという行為で、700年前のダンテと手を繋ぎ、そして1400年前の日ノ岡古墳に行きついたわけです。ほかにも、これはチブサン古墳です。抽象的な絵柄で私のよく使う辰砂を使って描いています。磯田道史さんがおっしゃるには、卑弥呼は紅辰砂を中国から50キロぐらい輸入して、鏡と一緒に大切に秘蔵していたそうです。なんということでしょう。私の〈現在〉は、卑弥呼にもつながってしまった。私が絵を描いていると、なぜこんなふうに古代のものと繋がってしまうのでしょうか?この根源を知りたいと思ったときに、どうも私は、脳幹というところを使って描いているんじゃないか。ロジカルな脳ではなくて、チンパンジーの一種のボノボが使っている脳らしくて、私はそういう脳の古層を使って描いている。そして、どうしてそんな古代の脳を使って絵を描くようになったのかと思ったら、理由はここにありました。これは、私が舞台で演じている写真です。


私は女優業を30年間つづけてきました。演じるという仕事は、自分の心の奥深くにあるものと、自分が演じる役柄のすごく奥深いところがつながっていることを信じて役づくりをするわけです。演じるとは、自分の一番奥深いところに降りていく仕事だった。 それを仕事として何十年もやっているうちに、何かを表現しようと思うと意識の古層に降りていくようになったわけです。心の奥深くに降りていくという行為が、私の表現活動のひとつの形態なのです。これがいま描いているダンテの『神曲』地獄編をテーマにした「薔薇のインフェルノ」という超大作です。地獄なのに薔薇でいっぱいです。この薔薇のひとつひとつが呻いている人間だと思うと恐ろしくありませんか? 大きさは縦3メートル、横6メートルで、ちょうどピカソの『ゲルニカ』よりひと回り小さいぐらいの大きさです。それを今年の5月にパークホテル東京の25階のメインロビーで発表することになりました。展示期間中は、ホテル全体がダンテの『神曲』をテーマにした私の作品で埋め尽くされます。ロビー階が地獄篇、それから煉獄篇、ずっとあがった上の階が天国篇というふうに、ホテルのなかを渦巻くような展示になるはずです。私が脳の古層をつかって描いた渦巻きのなかに、皆さんを呑み込んでみたいと思っております。ぜひご期待ください。

 

そして私の〈現在〉が〈古代〉につながっている様子をご覧いただければと思います。

 

2017.3.17
YUKI NINAGAWA

   


日本デザイン文化フォーラム-CARPE DIEM-『ダンテと薔薇』2017.3.17 | 2019 | Other Works | Media: , , , , | Tags: , , , , , ,