『狂った果実』

1981年4月公開。
製作:にっかつ
脚本:神波史男
監督:根岸吉太郎

◆キャスト◆
蜷川有紀/本間優二/
岡田英次/永島瑛子/ほか

★この作品でヨコハマ映画祭新人賞を受賞した。

【劇評・抜粋】

—めったに笑わない蜷川有紀の表情は、その確質な演技とあいまって、愛の残酷なゲームをリードし、
’81年、もっとも攻撃的なヒロインとして、作品共ども、ベスト・ワンである。
若者たちのいやがらせがエスカレートする暴力バーのシーンの、彼女の手さぐりのゴーマンさも良かった。
映画評論家:北川れい子「愛を叫ぶ都会のけもの」より

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「愛を叫ぶ都会のけもの」 映画評論家:北川れい子

「狂った果実」の蜷川有紀を観てすぐに頭に浮かんだのは、異色SF作家ハーラン・エリスンの短編「世界の中心で愛を叫んだけもの」に登場する男の話であった。
狂気と暴力の神話を描くこの小説のテーマ・エピソードとして冒頭に語られるその男は、盗んだ猛毒を各家庭の裏口に配達された牛乳びんの中に入れ歩き、二百人の老若男女を絶命させる。そして時限爆弾を仕かけたスーツケースを母に持たせて旅客機に乗せ、乗客もろとも爆死させ、火だるまとなった旅客機は、運悪く公共水泳プールに落下し、さらに多くの犠牲者がでる。そのあと男は、超満員の喚声をあげているスタジアムに行き、サブ・マシンガンを射ちまくる。
裁判に掛けられた男は、だが、ガス室での死刑を宣告される直前、顔をふしぎな至福の表情に輝かせ、叫ぶのだ。「おれは世界のみんなを愛してる。ほんとうだ、神様に誓ってもいい。おれは、みんなを愛してる。おまえたちみんなを!」
もちろんこの男の無差別大量殺人だけをみれば、現実にも似たような話は世界中にころがっているし、長編記録映画「アメリカン・バイオレンス」など、狂気と暴力による無差別殺人のオンパレードで、観ている最中に、いつこっちも殺られるか、金輪際アメリカへなんかいくものかと、まったく生きた心地もなかったのだが、「世界の中心で愛を叫んだけもの」における狂気と暴力のエピソードの男は、このあと、異空間の断罪人たちによって告発、浄化され、やがて全宇宙的破滅が用意される。
そしてハーラン・エリスンは、けものの消滅に反対する科学者にこう言わせる。「狂気は生きた蒸気だ。力だ。」だがこの科学者も人類に対する反逆者として浄化されてしまう。
つまりここに書かれた愛のパラドックスと人間の暴力的本能は、そっくりそのまま「狂った果実」の蜷川有紀の存在と重なるのだ。
彼女は、まるで愛に植えた小さなけものように本間優二につきまとい、青年の無関心を暴力でねじまげてまで、ひっかきまわす。なざなら、愛しているから、愛されたいから、関わりたいから、受けとめたいから。
’81年に登場した軽い青春映画の、シロっぽいヒロインたちは、みなユーレイのように透明で無関心をきどり、季節の衣装並に男をとっかえひっかえするだけだったが、蜷川有紀が演じた金持ち娘は、昼はガソリン・スタンド、夜は暴力バーで働く地方出の青年に命の熱い蒸気をあびせかけ、都会の孤独と残酷さの女神となり、青年の中にかくされた暴力本能に火をつけるのだ。
めったに笑わない蜷川有紀の表情は、その確質な演技とあいまって、愛の残酷なゲームをリードし、’81年、もっとも攻撃的なヒロインとして、作品共ども、ベスト・ワンである。
若者たちのいやがらせがエスカレートする暴力バーのシーンの、彼女の手さぐりのゴーマンさも良かった。
※「愛を叫ぶ都会のけもの」全文

 

『暗闇に輝く傷』 追悼/脚本家・神波史男氏

『狂った果実』という脚本をはじめて手にしたとき、「このヒロインは私だ!私そのものだ!」と、思った。十七歳でいきなり女優になり、魔界のような世界に投げ込まれた。いったいどうしたらいいのか、まったくわからなかった。ただ、「命がけで何かを表現してみたい」そう考えていた。一九八〇年、街は、洪水のようにネオンで溢れ、さまざまなブランド製品が溢れ出していた。私は、小さな獣のように街を彷徨い歩き、鳩のように孤独に震えていた。ほんとうに絶望的だった。なにが?なぜ?….よくわからないけれど、うまく言えないけれど、ほんとうに絶望的な気分だった。そんなとき、出逢ったあの脚本。黄色い表紙に赤い文字で『狂った果実』と書いてあった。石原裕次郎さん主演の同名映画とは違う内容のもので、日活が久しぶりに「青春映画を撮る!」という触れ込みだった。脚本は神波史男さん、監督は根岸吉太郎さん、プロデューサーは岡田裕さんと書いてある。その脚本は、涙が溢れるほど切実で、ヒリヒリした痛みを剥き出しにしていた。心の底から、演じてみたいと思った。根岸吉太郎監督とお会いして、その頃描いていたいくつかの大きな絵をお見せした。面白い娘だと思われたのか、主演に採用された。しばらくして、マネージャーから呼び出され「この映画は、R指定になってしまった。十八歳未満は、観られない映画だ。どうする?」とたずねられた。R指定という意味も、どのような劇場で上映されるのかもよく理解していなかった。でも、「素晴らしい脚本だからぜひ演じてみたい」とマネージャーに伝えた。

一週間の撮影が終わり、アフレコのとき画面のなかの自分をみた。自分の未熟さに絶句した。撮影所のトイレで独り声を押し殺して泣いたことを憶えている。打ち上げの時、脚本家の荒井晴彦さんに「あの女は、ぜんぜんあの男を愛していないじゃないか」と酷評された。「ちがう…そうじゃないの。愛って何?愛するっていう意味もわからなくて、ただ誰かと関わりあいたい、傷つけあうほど激しく関わりあいたかっただけ。自分の存在を肉体で確かめたかっただけ……」心の中でそう叫んでいたけれど、あの時は上手に説明できなかった。そう、いろいろな意味で私はまだ幼すぎたのだ。

神波さんとお会いしたのは、その数年後だったと思う。もしかしたら、撮影現場で紹介されていたのかもしれないが、よく憶えていない。工藤栄一さんが監督した『野獣刑事』という映画の脚本が素敵で、それがやはり神波さんの脚本だと知り、手紙をお送りした。神波さんからも何度かお便りをいただいたり、一緒にお酒を飲んだりした。たくさんタバコを吸われて、たくさんお酒を飲んでいらした。あの頃の映画人は、みなそんな風だった。どんな会話をしたのかも、もう思い出すことができない。

いま、三十数年ぶりに書棚から『狂った果実』の台本を取り出してみた。ほとんどの台本を捨ててしまったけれど、この台本だけはしっかり残してある。二度と帰れない残酷な青春の物語。薄い八十八ページの脚本。いい意味でも、悪い意味でも、私の人生を狂わせた脚本。人間が生きていくなかで性とは、いったいどういう価値があるものなのだろう。なぜ人は、愛しあうのだろう。なぜ肉体を絡ませるのだろう。汚辱にまみれ、ボロボロになって、切なくて涙でいっぱいになり、残酷で目を背けたくなるような性愛。本間君が演じた青年も、私が演じた思春期の少女も、みんな血を流している。思い出すだけで胸が痛む、消すことのできない傷跡のような脚本。これこそが、神波史男さんの仕事だった。

脚本家・神波史男さん。すべての綺麗事に唾を吐きかけた人。穢れた場所に神を見出そうとした人。狂おしい何か、どうすることもできない何かを描きつづけた人。私の知っている神波さんは、そんな仕事をした人でした。癒えない傷が暗闇で燦然と輝くように、スクリーンのなかで神波さんが書いた作品が映し出されていく。疵痕は未だ消えず、私の嗚咽はおさまることはない。いまも、そしてこれからも。

蜷川有紀 (映画芸術2012年12月増刊号掲載) ※「暗闇に輝く傷」神波史男氏追悼文

 

 

 


狂った果実 1980 | 2023 | Acting Works | Tags: , , , , ,