『暗闇に輝く傷』
追悼/脚本家・神波史男氏

『狂った果実』という脚本をはじめて手にしたとき、「このヒロインは私だ!私そのものだ!」と、思った。十七歳でいきなり女優になり、魔界のような世界に投げ込まれた。いったいどうしたらいいのか、まったくわからなかった。ただ、「命がけで何かを表現してみたい」そう考えていた。一九八〇年、街は、洪水のようにネオンで溢れ、さまざまなブランド製品が溢れ出していた。私は、小さな獣のように街を彷徨い歩き、鳩のように孤独に震えていた。ほんとうに絶望的だった。なにが?なぜ?….よくわからないけれど、うまく言えないけれど、ほんとうに絶望的な気分だった。そんなとき、出逢ったあの脚本。黄色い表紙に赤い文字で『狂った果実』と書いてあった。石原裕次郎さん主演の同名映画とは違う内容のもので、日活が久しぶりに「青春映画を撮る!」という触れ込みだった。脚本は神波史男さん、監督は根岸吉太郎さん、プロデューサーは岡田裕さんと書いてある。その脚本は、涙が溢れるほど切実で、ヒリヒリした痛みを剥き出しにしていた。心の底から、演じてみたいと思った。根岸吉太郎監督とお会いして、その頃描いていたいくつかの大きな絵をお見せした。面白い娘だと思われたのか、主演に採用された。しばらくして、マネージャーから呼び出され「この映画は、R指定になってしまった。十八歳未満は、観られない映画だ。どうする?」とたずねられた。R指定という意味も、どのような劇場で上映されるのかもよく理解していなかった。でも、「素晴らしい脚本だからぜひ演じてみたい」とマネージャーに伝えた。

一週間の撮影が終わり、アフレコのとき画面のなかの自分をみた。自分の未熟さに絶句した。撮影所のトイレで独り声を押し殺して泣いたことを憶えている。打ち上げの時、脚本家の荒井晴彦さんに「あの女は、ぜんぜんあの男を愛していないじゃないか」と酷評された。「ちがう…そうじゃないの。愛って何?愛するっていう意味もわからなくて、ただ誰かと関わりあいたい、傷つけあうほど激しく関わりあいたかっただけ。自分の存在を肉体で確かめたかっただけ……」心の中でそう叫んでいたけれど、あの時は上手に説明できなかった。そう、いろいろな意味で私はまだ幼すぎたのだ。

神波さんとお会いしたのは、その数年後だったと思う。もしかしたら、撮影現場で紹介されていたのかもしれないが、よく憶えていない。工藤栄一さんが監督した『野獣刑事』という映画の脚本が素敵で、それがやはり神波さんの脚本だと知り、手紙をお送りした。神波さんからも何度かお便りをいただいたり、一緒にお酒を飲んだりした。たくさんタバコを吸われて、たくさんお酒を飲んでいらした。あの頃の映画人は、みなそんな風だった。どんな会話をしたのかも、もう思い出すことができない。

いま、三十数年ぶりに書棚から『狂った果実』の台本を取り出してみた。ほとんどの台本を捨ててしまったけれど、この台本だけはしっかり残してある。二度と帰れない残酷な青春の物語。薄い八十八ページの脚本。いい意味でも、悪い意味でも、私の人生を狂わせた脚本。人間が生きていくなかで性とは、いったいどういう価値があるものなのだろう。なぜ人は、愛しあうのだろう。なぜ肉体を絡ませるのだろう。汚辱にまみれ、ボロボロになって、切なくて涙でいっぱいになり、残酷で目を背けたくなるような性愛。本間君が演じた青年も、私が演じた思春期の少女も、みんな血を流している。思い出すだけで胸が痛む、消すことのできない傷跡のような脚本。これこそが、神波史男さんの仕事だった。

脚本家・神波史男さん。すべての綺麗事に唾を吐きかけた人。穢れた場所に神を見出そうとした人。狂おしい何か、どうすることもできない何かを描きつづけた人。私の知っている神波さんは、そんな仕事をした人でした。癒えない傷が暗闇で燦然と輝くように、スクリーンのなかで神波さんが書いた作品が映し出されていく。疵痕は未だ消えず、私の嗚咽はおさまることはない。いまも、そしてこれからも。

                           蜷川有紀

(映画芸術2012年12月増刊号掲載)


神波史男さん追悼『暗闇でかがやく傷』 | 2015 | 未分類 | Comments (1)