蜷川有紀 yuki ninagawa 黒川紀章
    

 黒川紀章先生を悼む

    

 先生は、私のことを叱った。「まったく君はダメだ」と。そんなこと言われる筋合いはないと思い、腹がたった。また先生は、よく私に論文やご著書を送ってくださった。わたしは、それを読み、ドゥールーズのバロック論やメルロポンティーや唯識の思想に出会った。刺激的だった。私が「短編映画を創ろうと思う」とお話しすると、まっさきに「支援する」と言ってくださったのも先生だった。「人に迷惑をかけなさい。みんな喜んで応援してくれるはずだ。怖れずに人と繋がりなさい。」と教えてくださったのも先生だ。映画が出来上がり関係者試写の時には、大きな花束をかかえて駆けつけてくださった。多くの若いクリエイターを育て、支援した先生だった。

ヴァン・ゴッホ美術館はもちろんのこと、クアラルンプール新国際空港、カザフスタン新都市計画、中国の広州や鄭州の都市計画など私には想像もつかないお仕事をされていた。同じ人間なのに、こんなスケールの大きな仕事をしている方がいるかと思うと、私の中にも不思議にエネルギーが湧き、決して追いつくことはできないけれど、それでも先生に追いつきたいと思った。

先生は、よく「僕にはたくさんの敵がいる。」と仰っていた。
「先生、敵をつくらないと、良い仕事はできないのでしょうか?」と訊ねると、同席していた方達が「おお」とか「うわ」とか、声にならない声を出し、息をのんだ。愚かな私は、そのとき先生がなんとお返事されたかはすっかり忘れてしまった。ただ、先生はいつも仮想の敵と闘いつづけてきた方だと思った。大いなる敵と闘い、大いなるモノに抗いつづけた先生だった。

九州に出かけたとき先生の代表作・福岡銀行本店を拝見した。非常に先生の人間性を顕わしている建物だと思った。モダンでスタイリッシュでちょっぴり権威的なのに、なぜかその建物の一階には広場があり大きな木が植えられていた。大勢の人たちがその木の周りのベンチで本を読んだり、待ち合わせをしたり、雨宿りをしたり、広場は有機的に息づいていた。この建物のように、多くの人に出逢いの場をつくってくださった方だった。

一年ほど前、手術を受けられてから、中銀カプセルマンションの取り壊しが決まった。病身には、絶えられないほどのショックだったのではないか思う。世界の建築史に残る若かりし日の代表作である。それが、住民投票で取り壊されると決定したということは、まるで自分を否定されたように思われたなのではないだろうか。

先生は、以前と違う行動をするようになっていった。 晩節を汚すことなく、旅立たれて欲しいと思った。しかし、私の力ではどうすることもできず、己の無力を痛感した。いまは、その壮絶な苦しみから解放され、心地よいジェット気流になり宇宙の果てを旅していることでしょう。先生の鋭利な頭脳とその多大なるお仕事の数々を愛してやみません。最後に最晩年に上梓された詩集「アドニスから手紙が来た」の中から、黒川紀章先生らしい一編をご紹介してこの文章を締めくくります。
また、お会いできる日を楽しみに。

愛に相遇したか

君は愛に相遇したか。
彗星のように
君の身体を貫通していった
愛に相遇したのか。
そして
君の愛は君の心に在るか。
彗星のような
加速する愛に
君は相遇したか。
    
※上の写真は、詩集「アドニスから手紙が来た」より。黒川紀章氏撮影。

    

2007年10月17日

蜷川有紀


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